愛媛県松山市生まれ、現在東京都を拠点に活動。
声のアーティスト、映像・造形作家。声によって空間の陰影を感得しインスタレーションやパフォーマンスによってその濃淡を引き出したり/失わせたりすることを試みる。
仏教の僧侶を対象に<信仰>と<現代を生きる自分自身>についてインタビューします。 現代の日本に住む私たちは、自ら思考し、他者の意見や考えを取り入れながら、ある程度自由に<私>という何者かを作り続けることができます。「ある程度自由に」と考える理由の一つには、宗教との独特な距離感があると思います。多くの日本人が仏教と神道をうまく折り合い付けて生活に取り入れており、キリスト教・イスラム教などの信徒ほどには生活や信条をその教えと照合し強く自律することが少ない、と思われます。 一方、僧侶として仏教に従事している方たちは、仏教の教え・戒律・論理のもたらす枠組みを内面化し、ご自身そのものの考えや行動の基盤としながらも、同時に現代に生きる<私>というある種“素”で“正直”な自分との両方を携えて生きているのではないでしょうか。時代の変化にも対応しながら人や社会と接するその姿は、自己の中に他者・他者性をもち、その他者と内的に対話されているようにも思えてきます。 僧侶の皆さんの内側にあるものが、神や仏、その教え...と明確に定義しきれるものではなく、多面的であり、現代を生きる<私>と不可分な何かではないかと推測しつつ旅をスタートしました。
聞き手:小林大賀(さっぽろ天神山アートスタジオ コーディネーター)
00:00
北海道との縁
01:44
アーティスト活動で訪れる場所
03:30
これまでの活動について
05:20
なぜ僧侶へのリサーチを行ったのか?
07:46
宗教家としての「私」と今を生きる素の「私」?
12:45
私=ひとに会うこと
17:00
散漫、散り散り、遍在
19:00
体感の言葉化
22:55
WSは、一人じゃないから難しい
28:57
パーソナル、と、普遍性
31:45
Don’t feel too much, THINK !
38:44
「私」という言葉
47:27
人の話、現場に居るより面白い?
これは芸術分野に限ったことではないかもしれませんが、現代美術やコンテンポラリーダンス等におけるリサーチ(やフィールドワーク)とそこから創造される試みや作品には不思議な、概念の広がりや幅を感じずにいられません。
或るフィールドに出向いて事実を掘り起こしたり拾い集めるだけでなく、作家が出向くことで初めて発される声や物語が新たにフィールドを形作ったり一つの事実として刻まれるようなことが起きる場合があります。
事実とはそれに携わる人間(来訪者)の主観や現実を織り込んだ「現在」のことではないのか?とより強く感じられてきます。
換言するならば、リサーチとは出会いそのものであるとも思えてきます。
また、作家によるリサーチには、その行為やプロジェクトが何らかのアウトプットを目的とする場合が多く、リサーチという言葉にはあらかじめアウトプットの予兆や気配、ひいてはリサーチの先に必ず作家自身の表情を描くことが担保されているようにすら思います。
リサーチを作品の材料やプロセスだと言い切ることはできませんが、リサーチの作業過程には常にアウトプットのエンジンが動いているように思います。私の創作活動や表現活動に通底するものは「世界は・私はどのようにできているのか?」という問いです。
作品制作やパフォーマンスはその問いへの(答えではなく)アクションだと位置づけています。
そして、それを読み解くにあたり、私は私の身体や思考を主な因子として用いてきました。
しかし、数年前に大きな作品を制作した際、ボランティアチームの協力を得たことから、自己と他者の身体・思考における相違/共通点から大きな気づきを得ました。世界を読み解く「私」という因子は私以外にも存在し、複数者の視点を往還することでより世界の奥へ入っていけることに心が動きました。
そのような経験を得て以降、リサーチに関心を持つようになりました。
また、数年前から制作準備中の映画は、事実・想像・創造・虚構を織り上げていく作品なので、その作品を豊かにするためにもリサーチにもっと足を踏み入れてみたいと思っています。