上川さんは、一言で言えば越境する僧侶。坐禅など法華宗にはないことも、好奇心を持って他の宗派からどんどん学んでいく。
「まずは自分の肌感覚のほうが大事なんです。」実際に坐禅を体験してみて「やってみたら非常に面白かった。身体を止める、思考を止める。すると、法華宗の僧侶として役に立ったんですよ、他宗の坐禅が。」と言う。しかし、坐禅をやってみたいということを同じ宗派の僧侶に話すと、「“何でそんなことをやるんだ、そんなことに意味はない”っていう空気感があるんですよ。その空気感の中で思ったのは、…恐れてるんですよね。だから教えに逃げるんですよね。そこに逃げ込めば誰も文句を言わない」
そして、宗教がこの時代に果たすべき役割を真剣に考え、リアリストとして実践出来る方だ。
「おもしろい時代になってきたと思いますよ。日本仏教のひとつの歴史の狭間が今だと思ってますよ。江戸時代からあった檀家制度が転換するこのタイミングに生きているのが本当に面白いなって思いますよ。どんどんチャレンジしていくべきですよ」
「お坊さんの方が考えなきゃいけないのに、普通の人の方が先に変わって行っちゃってるでしょ。これからは檀家制度はもっとフリーになっていくと思ってて、この人!って思った人のところへぽん、と行けるようになりますよ。それがもっと進んで行きますよ。人気のあるなしではなくて、その土地に根差して信仰に慈愛をもっている人が浮かび上がってくる」
「ここの土地で何を受け継いで何を伝えていくんだろう。自分が感じたことを次の世代に伝える。何ができるんだろうか。日々感じますよね。」
より真剣に仏教の役割を考えるきっかけとなったのは、奥様を亡くされたことだった。
「今まで何百回と葬儀を行ってきましたが、身内を失くすことの気持ちを本当には理解してなかった。それで、仏教っていうものは一体何ができるんだろうかってことを真剣に考え直していったんです」
「基本的に、私を通した仏教なんですよ。スカスカな私しかいなければスカスカな仏教なんです。生きるってことは汗水たらして働くってことなんです。それを傍から見て仏教を感じてもらえれば…ただ感じてもらえればいい。」
僧侶として生きる以前に、自分が何者なのか?を突き詰めようとする姿はアーティストに通じると思った。
「本来持っている仏教のポテンシャルが引き出されていないっていうイメージがあるんですよ。こんなもんじゃない。それは僕らの意識や能力が足りてない…。そのためには自分というものがまずしっかり…というか開放されていないといけない。」
「お寺の住職としての役割を果たしながら、でも僕の人生はそれだけではないって思うんですよ。住職になることは一つのご縁だけれども全てではない。自分の人生を生きるために生まれてきている」
「仏様は私のことを救ってくれるからすがりましょう、ということじゃなくて、自分がやるべきことをやったときに、救いに気付くんです。ずっと救われてたことに気付くんです。そこで初めて仏様と相思相愛になるんです。でもそれは自分の実体験だから人には伝えられない」
法華宗の教えも、上川さんの言葉の組み合わせやロジカルな言葉運びによって、とても分かりやすく伝わってくる。宗教というメカニズムは自分があってこそ読み解けること、そして、その自分を探求していく伴走者として宗教が寄り添ってくれるように感じた。上川さんは実感を言語することに長けているし、その努力を怠らず、他宗との交流によって絶えず対象化と普遍化を行き来しているのだと思う。
「仏様との関わりは私と仏の直接なつながりです。本当に苦しんでいる方がお寺に来て、他人と一緒に祈る、そこで救われたいのは自分だけではないことを知る。知る事によって勇気が得られる。それが本当に重要で、その部分を伝えないんですよ。大切なことを教えないことで、すがらせようとするように見えてしまう」
上川さんもご自身を振り返ってこう考える。「人と会うときには、鏡というか、自分のことを考えています。ああこういう人生もあるんだ。そう思うことで人は救われていくんだと感じます。」
「いろんな鎧兜で虚像を作り上げるっていうお坊さんはたくさんいる。僕もそうだったから良く分かる。それは結局無理してる。自分をオープンにすることで…それでも自分は救われてるっていうのを見せる。時期にもよると思いますよ。今僕は、こんなちっぽけで恥ずかしい自分…なんてみんな知ってるし、開いていく時期かなと思います。」
「生きていれば、どうしたってごちゃごちゃするものですよ。そういう中で苦しんでいるからこそ、対極に救いがあるんです。無ければ救いなんて必要ないですもん。」
上川さん、どんなお坊さんでありたいですか?
「たまたま友達になった人間が僧侶で、仏教について聞きたいと思ってくれた時に、話せる相手になりたい」
「構える強さじゃなくて、どんな人も受け止められる。もちろんオープンにすれば傷つくし、いろいろあるけれど」
「僕自身が、人からこうしろって言われたら、嫌だもん」
上川さん、仏教ってなんでしょう?
「日本人って結構二択で決めようとするんですよね。」
「尊敬しているお坊さんが、”仏教って、こう、ぶよぶよしてて、どうにでも伸びるし、固くもなるし、その人の見方によってどうにでも変形できると思うんですよ”と言っていました。僕は彼の言葉のようにぶよぶよしていたいと思うんですよ。でもその中には堅いコアがあって、ぶよぶよの中で自由に動けたりしたい」