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インタビュー:澤知里さん (3月24日)

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澤知里さんは「NPO法人葬送を考える市民の会」代表理事を務める一方で、3年前に浄土真宗の僧侶になられた。結婚して家庭をもち、子供を育ててきたお母さんでもある。
30年くらい前に重い病気になった時、ふと目に止まった文章に救われたそうだ。「泣きながら荷物の整理をしたんです。残される子供のためにも。治さなきゃ治さなきゃって思えば思うほど苦しくなっていきました。そんなときふと"仏教では、健康が良いとか病気が悪いとかいう考え方はしない"と書かれた文章が目に入ってきました。その2、3行が私を救ってくれたんです。治さなきゃ自分は良い母親で無くなるって思い込んでいた自分に気づきました」
澤さんにはご親戚にお寺の住職もいたので、決してお寺が縁遠かった訳ではない。けれど、病気に心を苛まれていた自分を救ってくれた仏教の勉強をしたいと自分自身で決める。そう決めた途端、通信教育で学ぶ場や所属するお寺など、とんとんと導かれるように事が進んでいった。浄土真宗を選んだ理由について澤さんはこう言う。「身体を過酷な状況において修行する宗派もあるけど、その人本人はいいですよね。でも手が無いとか、足が無いとか、いろんな人がいるでしょう?山に登れない人はどうするの?僧侶になれないの?って思ったんです」そして、「尊敬する僧侶の方から"お坊さんは職業ではありません。あなたの生き方です"と言われました。僧侶になってから私の中に太い芯が通ったみたいに感じています。」
「NPO法人葬送を考える市民の会」は、1997年に10人の有志で「葬送を考える市民の会」として発足し、2000年にNPO法人化した。現行の葬儀はあまりにもわからないことが多すぎる、判断に迷うこともたくさんある、悲しむ間もないままあっけなく終わってしまう。同じ思いを抱える人たちが集まって、葬儀の不安に応えてサポートしたり、介護、高齢者住宅、終末期医療、遺言、相続に関する税金、成年後見制度、宗教、墓、散骨などのさまざまな講座や見学会、亡くなった時に着る衣装や骨壷を手作りする講習会、エンディングノートの作成など多岐にわたる活動を行っている。
どんな大人も戸惑う葬式の行い方はもちろん、死そのものが遠のいた社会において澤さんは様々な場面に対峙する。「遺骨を見たら気持ち悪がるだろうから、子どもを火葬場に連れていきたくないと相談を受けたこともありました。子ども本人嫌がるのなら別でしょうが、経験させることも大事ですよと伝えました」
葬送の在り方を見つめ直し、具体的なサポートによって生きている人の不安や不明なことを解きほぐす。この活動を通じて、僧侶とは違った立場で内と外から仏教を眼差し、ついにはお坊さんになった澤さん。
「心の中に他者を住まわせる。自分の中に灯るように」
インタビュー中に仰ったこの言葉は、僧侶である以前に、澤さんが人の痛みを分かち合おうとする方だからこその言葉であり、しかし、澤さんが僧侶であるからこその響きで聞こえてきた。