2016年3月21日
朝5時過ぎに函館到着。すごく寒い。風が強い。海が近いからだろう。カモメか何かの声が聞こえる。水が見えなくとも港町らしさが感じられる。
駆け足で函館駅に駆け込む。入って見ると、僕が知っている函館駅と違った。函館に来るのはおそらく小学校低学年以来なので、変わっていて当然なのだが、おぼろげに頭に浮かぶかつての古臭い駅舎の方が旅情をそそる気はする。 やはり構内外は新幹線の広告だらけだ。開業まであと5日に迫っている。札幌とは盛り上がりが違うなと感じた。いわば新幹線のお膝元なのだ。札幌もいずれこうなるのだろうか。広告には函館が生んだスター、GLAYが載っていた。 函館駅でダラダラウトウトしてから、6時頃ホテルに向かった。空が明るくなってきていた。荷物を預ける。カウンターでシネマアイリスのパンフレットを見つける。そうか映画館があるのか。映画館があるだけでうれしくなる。それがミニシアターだったら尚更だ。結局寄る時間はなかったけれど。
セイコーマートに寄って朝食を調達。 駅まで戻って、朝食を食べる。博物館の開館までの数時間は特にやることもないので、歩いてみた。知らない街をあてもなく歩くこと抜きで旅は考えられない。
まず朝市を冷やかす。いくら丼などの食品サンプルがならぶショーウィンドーは圧巻のピンク色で、新しくカメラを買った興奮もあって、いっぱい撮影した。9時頃まで レンガ倉庫群、教会群など見る。あの有名なラッキーピエロの第一号店も見た。坂の上のハリストス正教会周辺は日本じゃないみたいだった。この「日本じゃないみたいな感じ」が函館の魅力の一つなのだろう。ふと札幌や横浜の街の雰囲気を思い出して、函館と比べてみたりした。
朝一番は北方民族資料館に行くつもりだったのが、お腹が痛くなってきて、予定には無かった函館市文学館に入ってトイレを借りた(北方民族資料館までお腹がもたなかった)。トイレを借りたからには見なければなるまい。
9時半頃からは函館市文学館を見学した。
僕は文学をほとんど読まないので面白くないのではないかと思ったのだが、そうでも無かった。長谷川兄弟のことは画家・長谷川潾二郎を通して知っていたし、佐藤泰志が原作の映画も見ていたし、亀井勝一郎や今東光の名前も知っていた(読んでいないけれど)。最近亡くなった宇江佐真理は、蠣崎波響について書いた小説を買って読んだばかりだったので知っていた。
それにしても佐藤泰志の原稿の文字は独特だった。あれほど特徴的な文字を描くとかえって疲れるのではないか。
個人的には梁川剛一の資料をみられたのがうれしかった。私の出身高校は梁川剛一と一緒なので、梁川剛一の没後記念館がオープンするもすぐ閉鎖されたと聞いて気になっていた。資料が文学館に収まったのであればそれは一安心だ。ここに来るまでの間も梁川作品を街で見かけた。
二階は石川啄木の紹介コーナーで埋められている。函館は「啄木推し」なのだということが分かる。ここに本郷新が作った啄木像の原型があって、写真撮影可能コーナーになっている(ここ以外は禁止)。本郷新は、札幌に名を冠した美術館があるので僕にとってはお馴染みだ。本郷新がつくった彫刻は本当に道内各地にたくさんあって驚く。
10時半頃から北方民族資料館を見学。 ここはアイヌの民具のコレクションを多くもっていると聞いていたので来た。入ってすぐコロポックルの像などがドーンと置いてある。そういうのは要らないんだよなーと思ってしまった。横を見ると、北方の民族の現存する唯一の皮製の舟があって、期待が高まった。これは開拓使が集めたものらしい。
二つ目の部屋は、ずっと見たかった蝦夷錦や、たくさんのアトゥシ、けっこうな量のタマサイ(首輪)があった。アイヌ以外の北方民族の資料もそこそこある。
途中、現在のアイヌ民族について紹介するビデオがあって、「今では日本人と同じ暮らしをしています」みたいな紹介があっておどろいた。そんなことは僕には自明だったからだ。それでも、おそらく道外から来たらしい中年の夫婦が「アイヌは日本語喋れるの?」と言っていたのを聞いたから、大多数の日本人の認識はそんなものなのかもしれない。某日本の首相が博物館でアイヌに関する展示を見て、「アイヌってまだ居るの?」と口走ってしまった(もちろん即刻オフレコ扱いになったらしい)という話を聞いたことがあるが、あながち嘘ではないのかもしれない。ビデオに俳優の宇梶さんが出演していた。
他に数点アイヌ絵もあった。もっと見たかった。
全体としてはさほど展示数は多くなく、たくさんのコレクションを小出しにしている印象だ。所蔵品の核はいくつかの個人コレクションが元になっているようだが、目録の公開やアーカイブ化はされていないようで、大変残念である。何とかして欲しい。
13時頃には函館市電・末広町から五稜郭公園前駅まで移動し、そこから徒歩で函館市中央図書館に向かう。前日に資料閲覧の予約はしておいた。五稜郭の前には、僕は知らなかったけれど有名なラーメン屋「味彩」があって、行列ができていた。そのすぐ近くにもラッキーピエロがあった。
駅から図書館まではけっこう距離がある。途中、五稜郭のお土産屋に寄って、イカ飯を食べて小腹を満たす。大きさの割に意外と腹が膨れる。
函館市中央図書館は一見横に長い建物だが奥行きもある。外観の威圧感のなさに比べて建物内の空間の広さに驚いた。食事するスペースや小さな中庭、点々と作られた読書スペースなど、非常に使いやすそうな施設に見えた。函館市民がうらやましい。
利用者カード作成などを済ませ、14時頃から資料閲覧。本当はウェブ上でも見られるのだが、やはり本物を見ないと分からないことは多い。おニューのカメラでたくさん写真を撮った。思ったより簡単に資料が見られることが分かったので、翌日予定していた松前行きを翌々日にして、再度函館市中央図書館に来ることを決める。
17時頃から五稜郭公園を少し見学。超寒い。風がかなり強い。閉門の18時までは寒さに耐え切れなかった。大して見学もできなかった。函館奉行所の建物を見て、五稜郭の設計者である武田斐三郎の碑を浴びるように撫でてきただけだ(武田斐三郎の肖像レリーフの頭の部分を撫でると頭がよくなると言われている)。
「味彩」の前は行列が消えていたので、入って見る。普通の塩ラーメンを注文。やっぱり函館と言えば塩ラーメンだ。出てきたラーメンについていた割り箸の袋には北海道新幹線が描かれていた。僕はほとんど店で塩ラーメンを食べたことがなかったのだが、うまかった。ここで昨日買ったばっかりのカメラのフードをなくしたことに気がつく。中古とはいえショックだった。 18時半頃には函館市電の五稜郭公園前から函館駅前まで乗車。ホテルへ行く前に古本屋にでも寄りたかったが、スマホで調べると営業が終わっていてがっかり。
念のため函館駅前の交番に寄って、カメラのフードの落し物の報告があるか聞いた。もちろんなかった。届け出をだし、全くカメラに詳しくない警官のお兄さんに、同じく詳しくない僕が、よく使い方も知らない部品の説明をするのだから、大層間抜けなやりとりだったろう。カメラのフードは本来レンズの保護と日よけに使う部品らしい。僕は日よけの用途を知らなかったので、カバーだと熱弁。カバーにしては山と谷があって奇妙な形なので、どういうものかうまく説明できなかった。五徳とかいえばよかっただろうか。
帰りがけに「ではご旅行気をつけて楽しんでください」と声をかけられた。旅行中のハプニングもいずれお土産話に変わっていくのだ。物を紛失する不運もそう思えば悪くない。
19時半頃チェックイン。ホテルはごくふつうのビジネスホテルで、一階ロビーは狭くごちゃごちゃとソファーやテーブルが並んでいる。古そうな建物だが不潔な感じではない。予約の電話をかけた時の応対がものすごく元気だったので、悪いホテルではないんだろうと予想していた。泊った階の廊下は独特なにおいがして、ちょっと我慢ならなかったけれど、それ以外は値段に見合うそれなりの設備だったと思う。
部屋着は浴衣だった。私はアイヌ絵を見にはるばる狭いバスに乗って函館まで来たわけだが、ひとつ気になっていることがあった。それはアイヌの描かれ方だ。アイヌは決まって着物の合わせが左前で描かれる。それは中国由来の考え方では蛮族の風俗だとされ、日本でもそうされたらしい。他にもアイヌの描かれ方にはいろいろ定番の記号的表現がある。それらを実物で確かめるのも目的の一つだった。
そして何の躊躇もなく浴衣を着た。合わせを確認してみる。が、私は見事に左前に来てしまったのだった(左前の前とは先の意味であって、左が右より前に来ては間違いになる)。かつて差別的記号として使われた合わせに、今日の僕は無頓着だった。差別的表現とは一体何だったのだろうと思った。
初日なのではやめに、23時前には寝た。