会場撤収
最後の打ち上げ!
終わりに:アーティスト・イン・レジデンスでデジタルアーカイヴを試みることとは?
これまでの美術館などが行っているアーカイヴ(収集と収蔵)という概念から、今日のデジタルアーカイヴの概念は広がっています。それは、アーカイヴされたデータを活用するという次のアクションにもっていこうという動きであり、まさにそこなんだと習った。
良い例が、古典の映画をデジタル技術で修復し再現するというプロジェクト、京都でそのフォーラムを見た。気の遠くなるような修復作業には、作品が制作された当時の監督、カメラや音声に至るまでの多様な技術スタッフの苦心や意図をどれくらい汲み取ることができるかにかかってくるのだと。つまり修復作業は、当時のプロセスを細部にわたりほりおこす作業と等しい。それがゆえに、完成品として鑑賞していたオーディエンスは、再現されたデジタルデータの映画作品を、掘り起こされたプロセスとともに豊かな情報の元で鑑賞することが可能になる。おそらくその体験は、当時観客が感じたわくわくは損なうことなく、さらに細部への想像力を働かす装置になり、豊かな体験として記憶されていくのだろう。それは作品にとっても、またその作品と出会った観客にとっても幸せなことではないかと夢想しました。
神が細部に宿るという名言はこういうときに当てはまるのかも?いや違うかとひとりでにやにやしてしまいました。
アーティスト・イン・レジデンスは、アーティストが一時的な一定期間(日帰りや1泊2日といった短期ではなく)、普段の活動場所とは異なる地域、場所に滞在し制作に向かうための、または制作活動を行うものです。その活動には公的な補助金や民間の資本が投入されて活動を支える事業として国内いたるところに普及しています。
しかしながら、アーティストが公式に発表する機会とは異なり「成果」がわかりづらいと指摘を受けがちなのは課題で、特に地方行政といった公的な機関は、『目的—実施—成果—評価』というサイクルの上で予算の運用が決定されるために、継続的な経済的支援が約束されづらいのが現状です。アーティスト・イン・レジデンスの成果は、アーティストに移動と滞在と制作のチャンスを提供した、ということで本来十分なはずであるにもかかわらず、なんだけれど。
文化芸術施設は、主に完成品と社会とをつなぐ場として機能してきたと思っていて、そこにあらたに加わったのがアーティスト・イン・レジデンスというアーティストを育成する機能をもった文化芸術分野のインフラでした。“文化芸術分野を機能的に支えるインフラ”でも十分な世間への説得力にならない昨今、どのようにアーティスト・イン・レジデンスを解説し、この存続を訴えていくべきなのか、運営者であれば日々苦しむところだ。
ふと、現場の運営者としてどうして自分がアーティスト・イン・レジデンスにここまでこだわるのか、大いなる可能性を感じるのか、なぜ惹かれるのかと考えてみました。
それは、アーティストの作品ができるまで、多様なかたちになりそうな何かが見つかったときなんかを共有するワクワクした気持ちがたまらなく好きだからです。アーティストの作品制作のプロセスは時間が凝縮されたような瞬間の連続で、ジェットコースター好きなら、ジェットコースターにのっている瞬間と同じといえば想像できるだろうか。冒険が好きな人なら、道に迷って、でもあるももので好奇心が刺激されて帰り着きたいけど、帰りたくないというようなそんな気持ちと同じなのかもしれない。私にとっては出来上がった作品と出くわす時と同じくらいの、でも質の違う悦びや楽しみやさまざまに入り混じった体験をあたえてくれるものだと実感しています。このプロセスをアーティストに並走するように記録して公開して共有する方法はないだろうかと考えたときに出会ったのが「デジタルアーカイヴ」という考え方と方法論でした。今回のアーティストによるリサーチのプロセスを記録し、共有する試みの発端はこれだったのかなと時間がたって整理できるようになりました。直感的にリサーチと同時にアーティストにデジタルアーカイヴを意識して活動してもらいたいと思ってワークショップを企画したのも、、、そこには、記録保存する次のステップ、「活用する」という重要なキーワードがあったから、アートとリサーチのワークショップで試してみる理由も、また価値もあったのかもしれないと。
直感当時には、この手法がアーティスト自身の活動を可視化することになるし、キャリア構築の場面でアーティストにとってもいいツールになるのではないか、作品を制作する、創造的活動の資料的な説得力になりはしないかとも欲張って考えたものです。
とはいえ、ワークショップ実施中には参加してくれたアーティストにはデジタルアーカヴについてさまざまな意見や思いがあり、戸惑いも多かった。このワークショップで彼ら自身の活動をアーカイヴし、公開することにはまだまだアーティストとのたくさんの話し合いや意見交換が必要だったとも痛感しています。
それにしても、今回もまたアーティストのひとつひとつの活動に、独特の視点や展開に日々励まされました。そして半年以上が過ぎたいまでも、まだ励まされ続けています。彼らのように動き回り、自分がアーティストとして生きてることをなんとか形にしようともがいている人がいることがどれほど頼りになることか。同時代のアーティストが写し取ってくれる今を経験することは、アーティストや作品に遭遇することは、この先どうなるかわからない現代に灯台の明かりのようにだれかの道標になるよ、と伝えたいです。最後に、参加してくれた11人に心から感謝を伝えます、どうもありがとうございました。MO